こんにちは。日本トリムです。
日本トリムと現地企業グループ、シナルマスとの合弁会社
PT.Super Wahana Tehnoの業績は順調に拡大中です。
今回は、現地パートナー、シナルマスグループの本社ビル40Fにある
ヘリポートから写真を撮ってみました。
同グループの創業者 エカ・チプタ・ウィジャジャ氏はヘリコプターまでも駆使し、
グループビジネスを急成長させた立志伝中の人物です。
約2億4千万人の人口を抱え、成長を続けるインドネシア ジャカルタ。
現在人口は950万人を超え、近郊を含む都市圏人口は約3,000万人とも言われており、
世界屈指のメガシティとなっています。
現在はこのように、ビルが林立する大都会に変貌しつつありますが、
ジャカルタはオランダ統治時代、Batavia(バタビア)と呼ばれ、
現在のジャカルタの北部周辺に強固な要塞が築かれていました。
現在も北部にはその名残があり、オランダ風の建築物が多く残されています。
ジャカルタの観光名所として有名な、ファタヒラ広場にあるCafé Batavia。
ジャカルタには珍しい、ノスタルジックな気分にさせてくれる、私の好きな場所の一つです。
今回は、日本トリムのパートナー、シナルマス社との会合に加え、
企業訪問団の方々をお連れし市内視察へ。
ジャカルタのシンボル、モナスへも訪問して参りました。
経済発展を続けるインドネシア。
日本トリムは今後もこの地に根をはった事業展開を進めて参ります。
〔豆知識〕
モナス (モナス塔 インドネシア語: Tugu Monas トゥグ・モナス)は、インドネシアの首都ジャカルタの中央ジャカルタ地区にある公園「ムルデカ広場」の中心部にある国家独立記念塔の名称である。
モナスとは「Monumen Nasional (英語でNationnal Monument)」を略した造語である。 エレベーターが設置され、最上部は展望台になっており、ジャカルタ市内を見渡すことが出来る。また底部は歴史博物館になっている。
たいまつやろうそくのように見える塔の外装は白い大理石製で、高さ137メートル。頂上部には高さ14メートル、直径6メートル、重さ14.5トンの青銅製のレリーフがある。レリーフは77のパーツから構成された炎の形で、重さ35キロ分の純金メッキがされている。レリーフは「アピ・ナン・タッ・クンジュン・パダム(Api Nan Tak Kunjung Padam)」と呼ばれ「永遠に燃え続ける火」の意味であり、独立戦争中のインドネシア国民の闘志を象徴している。使用された金はブンクル州のルジャンルボン金山から産出した物である。夜になると炎のレリーフがライトアップされ、遠くからみると座っている女性のシルエットのように見えるとされる。塔と台座はヒンドゥー教で男女の象徴である「リンガとヨニ」や、インドネシアの伝統的な「米用の杵と臼」をイメージしてデザインされた。
モナス建立計画はスカルノ大統領の提案であり、定礎式は1961年8月17日に行われた。1975年に完成し、同年7月12日から一般公開された。
モナス塔のデザインにはインドネシア独立記念日(1945年8月17日)にまつわる数字がかくされている。つまり、塔の台座となる基部は45メートル×45メートル、地面からの高さは17メートル。モナスの地下にある歴史博物館(Museum Sejarah Nasional)は壁と床が大理石で出来ている。広さは80メートル×80メートル、天井の高さは8メートル。歴史博物館の中には48個のジオラマパネルがあり、古代から現代までのインドネシア史の主な出来事が描かれている。
台座には独立の広間(Ruang Kemerdekaan)があり、スカルノ大統領が読み上げた独立宣言文が納められている。独立の広間は古代ローマスタイルで、インドネシアの国旗、国章、地図等が展示されている。台座の入り口に展望台行きエレベーターがある。エレベーターの周りには非常階段が設置されている。塔の内部はこれらの昇降用設備以外は何も無い。展望台は炎のレリーフの下にある。展望台の高さは地上115メートル、広さ11×11メートル。展望台からは、モナス広場周辺の景色が眺望できる。排ガスが少ない、天気のいい日には南は西ジャワ州ボゴールにあるサラク山、北はジャカルタ湾、西はスカルノハッタ国際空港が見える。(Wikipediaより抜粋)。